今週(7月9日~15日)の運気
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いまは動くときではない。手足が激しく動いているときでも、動かない背中のように、天地の動きを全身に感じて、取り巻く世界の動静には影響されず、他力をあてにせず、こころを平にしてわが道に踏み止まり、そして、力を貯えるときだ。そうしていれば、なんの問題もない。
山の上に山がある。それは重なる苦難が前途を塞いでいるから、止まれ、と、山々が自らの高みに安んじ、泰然として動じないように、いまある現況に安んじて動かないでいるときだということをメッセージするものだ。
同時に、山にはそれぞれの高さがあるように、人にもそのときどきの分限(立場)がある。また人生には進むべきときと止まるべきときがある。ひとはただ闇雲に突き進めばよいというものではなく、そのときどきの自らの分限(立場)と進退の機微をクールに見きわめて、行くべきは行き、止まるべきは止まる。そこに人生の王道があり、揺るぎない未来が約束されるのだということもメッセージしているのだ。
そして、いまはなにごとも歯車が噛み合わないときだから、こころを安らかにして動ぜず、自らを磨くことに専心していれば、行くべき道は、自ずと開けるというのだ。
その頬に止まる。発言を求められたときには、慎重に言葉を選んで筋道の通った意見を述べ、言葉を慎むように心掛ければ、悔いは残らない。
こころ静かに、その止まるべきところに自ら止まる。安んじて止まっていれば、自ずと新たなステージが開ける。
こころある人はこの卦を見て、止まるべきときは止まることの必要を知り、自らのいるところにとどまって、等身大を超えた野心を持たないように努めたという。
人は止まる、動かないでいることに不安を覚える。世の中も右肩上がりに前進していれば安堵し、停滞すると世界が終わったような気がする。なぜか。朱子はいう。
それは生きものにとって〈動〉は生を意味し、〈止〉は死を意味するからだ。それゆえ、動いていることに安心を覚え、止まることに不安を感じる。それは死の不安から逃れたいという、生への執着がもたらす、きわめて人間的な、ある意味ではバランスを欠いた心性だといえる。どんなにジタバタしようとも物事にはかならず終わりがあり、人はかならず死ぬ。その現実をきちんと受け入れ、動くことによってごまかそうなどとはせず、みずからすすんで止まるとき、人ははじめて逃れて得る安心ではなく、真の安心を知ることができる、と。朱子は六十四ある卦のなかで「もっとも好きな卦だ」といっている。また、ある達者はいう。
こころがいま現在に止まっていれば、そのときこころは静寂と至福に満たされる。安んじてそこに止まれ。ビー・ヒア・ナウ。
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