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2006年11月26日 (日)

今週(11月27日~12月3日)の運気

21zeikou

 想うことは通る。ただし、優柔不断ではダメだ。想うことが通らないのは邪魔をするものが介在しているからだ。それを断固とした意志を持って噛み砕く姿勢で臨めば、かならず通る。

 雷の上に火がある。それは雷と火という爆裂的なエネルギーを持った二つの気が出会い、激しく合体するときであることを象徴している。そのとき、轟く雷鳴は邪悪な黒雲の垂れ込めた天地を揺るがし、稲妻は電光石火、一瞬にして闇を切り裂いて逼塞した状況を一変させる。そのように、この卦はいまが断固として果断に行動するのにいいときであることを示唆している。
 卦の漢字辞書にはない二文字は日本語的には〈ゼイゴウ〉と読む。牢獄に虜になっているような状態を表わし、その状態を口の中に入っている物を上下の歯で噛み砕くようにして打ち破ることを意味する言葉だ。すなわち、上卦の明知(火)でもって正邪を見分け、それに下卦の行動力(雷)を噛み合わせて、想いの行く道を阻む障害物を取り除くことが必要なときであるということをメッセージしているのだ。
 ただ、相手を噛み砕く(罰する)わけだから、自分の想うところが正しいことはもちろん、そうするだけの十分な理由と、相手にはそうされるだけの非がなくてはならない。しかもその決断は相手の非を正確に射抜いていなければ悔いが残る。つまり、想いを通すには誠心誠意を尽くすという気持と深い知恵と洞察が必要不可欠であり、かりそめにも軽々しい気持で対処してはならないということでもあるのだ。
 また、雷電が地を揺るがし天を走るのは五穀豊穣、稔りが多いことの兆しでもある。したがって、外にあっては邪魔するものを、内にあってはこころの闇を断固とした態度で取り除けば、得るものがあるということだ。難しい局面だが、やり遂げれば想いは通るのだ。気を入れてブレイク・スルーしようではないか。

 こころある人はこの卦をみて、ことの善悪をはっきりさせることの必要を知り、きびしく自他の身を律することに努めたという。


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2006年11月18日 (土)

今週(11月20日~26日)の運気

31kan

 こころ正しければ、想うことはかならず通る。男女が感じ合って交わるとき、いいことがある。

 湖の下に山がある。これは下降する気である湖の水が、受け止める気を持つ山に抱きとめられて地を潤し、陰陽の二気が感応しあって和合する様を象徴している。また、上卦の兌(湖)は若い女と悦び、下卦の艮(山)は若い男と真心を象徴しており、若い男がへりくだって愛を求め、それに感応して若い女が悦ぶ象(形)をしていることから、恋愛や縁談を成就させるには願ってもないいいチャンスだといわれている。
 卦の「咸」という字は「感」から「心」を外し、物事に対して無心あるいは理屈抜き、心の働きを超えたところで働く直感=カンで感じることを意味する言葉だ。それだけに咸じ合う際の前提となる動機や対称の正邪は極めて重要で、動機や対称に憂うところがなければめでたし、めでたし。逆に邪なものがあれば、結果は悲惨。想うことが通らないばかりか、後々を煩わせる大きな禍根をつくることになるという。想うことはかならず通るが、ただし、こころ正しければ、という条件がついているのはそのためなのだ。
 およそ万物は陰陽の二気が咸じ合い交感することではじめて生み出される。万物に限らず人の和も仕事も恋も、まずは相互に咸じ合うということがなければ、なにごともはじまらないのだと、この卦はいう。おのおの方、今週はこころを開いて(ただしく)咸じ合いましょう。

 どんなに褒め称えられ持ち上げられようとも、ゼッタイにその上にあぐらをかいてはならない。持ち上げられれば、なお、それを過ぎたものとして慎ましさに徹していればこそ、禍いが起きないのだ。
 富みのあるところに衆は従う。富みなどないのに衆が慕い親しんで集うのは、その人に富みを超えた徳があるからである。その徳とは謙虚さである。


 こころある人はこの卦をみて、咸じ合うことの大切さを悟り、こころを開き空っぽにして、人びとのこころを受け入れたという。


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2006年11月12日 (日)

今週(11月13日~19日)の運気

42eki

 ナニをするにもいいときだ。大河を渡るような冒険をするもよく、なにごとにも積極的に取り組んで前進するときだ。

 風の下で雷が轟いている。雷が動けば、上空の風は雷の動くに従って動く。これは下なる自分が動けば、それに従って天なる風も動いて味方をしてくれるといういいときを象徴している。
 また風が激しければ、雷鳴は遠くにまで及び、雷が強くなれば風もまた早くなるように、この週は、雷なる活動力と、風なる順応性が兼ね備ったときであり、この機を逃さず勢いよく突き進めば、疾風迅雷、風と雷が助けあって互いの勢いを増すように、想うことが加速度的に進行してとどまることがない状況にあることを示唆している。想うことがあれば、いま、積極的に一歩踏み込んで、この好機を生かすときである。

 易的にマジカルな話だけれど、この卦〈益〉は〈否=上3本が陽爻、下3本が陰爻)の上3本の陽爻のうち、いちばん下の陽爻を、下卦のいちばん下に移した(余った陰爻は上卦の陽爻があった場所に移す)ことによって生じた卦なのそうだ。その結果、下卦は震(雷)となって動の気が生じ、上卦は風となって雷同して動く気に変化した。結果、これまでの〈否=閉塞していた状況〉が一気に破れて、激しい変化が起きはじめた。しかし、その変化は易的に、天(上卦)が地(下卦)に一陽を施すことによって生じたポジティブな変化であり、そのとき、地は万物を生み、その恵みは疾風迅雷のように広く世界の隅々にまで行き渡るということから、この卦を〈益〉と名づけたという。益とは、地にある者が天を味方に得をすることをいうのだそうだ。おのおの方、この機を逃さず、一歩、前へ。


 こころある人はこの卦をみて、風のように速やかで、雷のように果断であることの必要を知り、善を観れば速やかに学び、過失があればただちに改めるように努めたという。


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2006年11月 5日 (日)

今週(11月6日~12日)の運気

64misai

 想うことが通る。いま一歩のところで事が成らず、この週、得るところはない。しかし、倦まず、投げ出さず、ねばり強く危機を乗り越えていく先に、光明が見えてくる。

 整然と陰陽が対を成してるにもかかわらず、上卦、天の気は〈火〉=上昇する気。下卦、地の気は〈水〉=下降する気。そのため、この週、天と地の気が交わることはない。未だ済まず、いまの状況が続くことをメッセージしている。
 また、この卦の形(象)は天と地の気が出会うときの形(象)とは完全な真逆。すなわち、状況は最悪。しかし、陰陽の爻は相互に引き合う形で整然とただしく対を成している。これはやってることには間違いがないこと。同時に、足もとを掬う水=坎、難儀に一つ一つ辛抱強く対応して進めば、彼方に火=光明が見えてくることを約束している。
 つまり、いまが正念場、なじめない状況だが、やってることはまちがってない。せんないが、倦まず、投げ出さず、やり続けていくこと、されば希望が見えてくる。?ホントかなあ、ず〜〜っとそういわれてきたような気がするなあ、などと疑念はこの週、とくにイケマセン。今週は、…も? ひたすら、セ〜ノ、セ〜ノとロックンロールあるのみ。
 ひと夏萌えて、彩づいた葉を、邪見に散らす、秋風の立つ。カラカラカラ……。きつくても、おのおの方、しっかり足もとを踏みしめて、オ〜ルウエイズ、ビー・ヒア・ナウ。

 こころから信頼しているわけではない人が、よくしてくれるからといって、こころを乱してはならない。自分の運の塞がりはそれはそれとして率直に受け止め、ジタバタしないことだ。そうあってこそ道も開けるのだ。
 ただしく行なって道を拓き、わが身と同志を守り抜くには、常にヤバイぞ、ヤバイぞと自分を戒め続けることが大切である。こころを緩めてはならない。危機は泰平のゆるみのなかに巣食うのだ。


 こころある人はこの卦をみて、必要なものが整っているだけでは用をなさないことを知り、慎重にものごとを見きわめて適材を適所に配することに努めたという。

 愛の化身、如月桂樹の託宣

 人間は完全でないために、成長することができる。
 人間は完成していないために、開花することができる。


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