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2006年12月31日 (日)

今週(1月1日~7日)の運気

48sei

 井戸の水を汲むために釣瓶を降ろすが、縄が短く、あと少しのところで水面に届かない。しかも、釣瓶が壊れた。ノー・グッドだ。いまは進むときではない。自分を見つめ直し、バグを取り除いたりして自らの浄化に勤めるときだ。
 木の上に水があるのは井(戸)を象徴している。木は自らを養うために地中に根を張って水を枝葉の末端まで吸い上げるように、人は命を養うために井戸を掘って水を汲み上げるからである。いま、水を汲み上げる道具であるロープが短かく、あげく釣瓶まで壊れてしまったというのは、人間関係を繋ぐ道具である言葉が足りず、コミュニケーションを疎かにしてきたために、命を養う大事な関係が断絶の危機の曝されていることを示唆している。危ない。危機を回避するためには、改めていま、家族や友人たちとのコミュニケーションを密にしておく心配りが重要である。
 また、井戸は清麗な水をたたえていてこそ、人は井戸の周りに集まり、コミュニティを作る。しかし、メンテナンスを怠って、水が汚れたり枯れたりしてはだれも寄っては来ない。人も同じである。いつも清い水を満々とたたえているような人であるように、常に自分を省みてメンテナンスを怠らないことが重要である。いまが浄化のときであるとはそういうことである。

 いまがそのときであるかどうかを見極めるために家を出ない。そのように慎重であれば間違うことはない。言葉には気をつけることだ。
 欲に屈して自分の限界をこえれば、苦しむだけだ。それは自ら招いたものであり、だれも責めることはできない。


 こころある人はこの卦を見て、周りの人びとの労をねぎらい、互いの鋭気を養い、助け合っていくことの大切さを再確認することに努めたという。

 今年最初の卦は〈井〉。いまなすべきことは、自分のこころをクリーニングして、周囲とのコミュニケーションを密にして風通しをよくしておくことが重要だという。いかにも正月らしい卦ではないか。おのおの方、よいお年を。


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2006年12月24日 (日)

今週(12月25日~31日)の運気

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 どんな事情があるにしろ、限度を超えた摂生を日常のキメごとにしようとしてはならない。チャンスが開けているかどうかをきちんと見極めるまで、家に居て庭を出ない。そのように慎重であれば、間違うことはない。想うことは通る。
 湖に水がある。そのとき、水が適度であれば、万物は潤され、健やかに育つ。しかし、度を過ぎて少なければ枯渇し、また、多すぎれば氾濫し、いずれも万物に被害しかもたらさない。
 仕事、勉強、ダイエット、人は高い理想を求めて、つい、ムリな計画を立て、そのために挫折し、かえって自信を喪失したり、思いがけなく健康を害してしまうということがまま、ある。よくない。天地に季節があるように、すべての物事には限度、つまり節度というものがあり、それをバランスよく保ち続けることが重要なのであり、いま、そこを注視せよ、と卦は告げている。
 しかし、節(度)を乱そうとするさまざまな誘惑を自ら断つのはなかなか〈苦しい〉。卦はいう。節を保つには、その〈苦しさ〉を悦んで受け入れて、まず〈止まる〉ことだ、と。いま必要なのは、日常のなかの節度において、苦節に過ぎず無節に堕ちず、実行可能な節度を自らに課して、それを一節一節、積み重ねていくことだ。その先に、竹のようにしなやかに自立した自分を見、真の幸せを体感できる瞬間が待っているのだ。大いなるかな、節。

 思い通りに事が運ばない。志にない人が現れ、つきまとわれて難儀する。しかし妥協してはならない。右往左往せず初志を堅持して、しばらく時の流れに任せて待てば、ストーカーも去り混乱も収まる。
 道を見失ってどっちに進んでいいかがわからないときは、志すところを再確認し、思いきって一から出直した方がいい。


 こころある人はこの卦を見て、何ごとも限度を越えれば危険があることを知り、日々の決まりごとや予定を立てるときは、自分の力をクールに見極めて、節度を保つように努めたという。

 今年最後の卦は〈節〉。年の瀬に追われて何ごとにつけてもムリをしがちなときだが、それはよろしくない、と。あくまでもマイペース、節度を守ることを忘れないように。ご自愛を。


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2006年12月17日 (日)

今週(12月18日~24日)の運気

03ton

 新たな命が固い地面を破って芽を出そうと苦闘している。想うことはおおいに通る。こころ正しければすべてうまくいく。しかし、先を急いではいけない。現状を正確に把握し、想いをおなじくする友たちと力を結集して時期を待つときだ。
 雷の上に水がある。それは雲が空を覆い雷鳴は鳴りはじめているが、まだ、雨となって落ちてくるまでには到っていないことをメッセージしている。新たな命は天地が交わり大地がうるおってはじめて芽吹くのだが、そのときが目前にありながら、まだそのときではないのである。古人はこれを生みの苦しみといい、はじめに難ありと解して、焦って軽挙妄動することを戒めた。
 だが、同時にそれはことがはじまるまでにはまだしばしの猶予があり、なお、慎重に想うところを再検証し、トイレにいっておく時間があるということだ。その猶予を有効に使わない手はない。力を蓄えこころして整えよう。遠からず雨は降り、新しい息吹きが固い大地を破って芽吹くときがやってくるのだ。
 ちなみに屯(とん)という字は芽生えようとする艸(草)の頭を一(大地)が止めていることを現わす象形文字で、この卦を表現するために作られた文字の可能性が大きい。地面からわずかに切っ先を出した芽は、ムリに進もうとすれば苦しむだけ。ヘタに動けば大けがをする可能性だってある。だから、急がず準備を整えて待て、というのだ。ステイ・クール ビー・ヒア。

 なにごとも成就に導くのは容易なことではない。調子に乗って進めばダメージが大きい。小に気を取られて、大を見失うことのないように。


 こころある人はこの卦をみて、新たな時節の到来を予見し、新たに織り上げていく明日の姿を正確にデッサンして、必要な人材と資材を整えたという。


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2006年12月10日 (日)

今週(12月11日~17日)の運気

24hukus

 想うことは通る。進んでも戻ってもなんの障害もない。失ったものも7日で戻るだろう。諦めていたことに再チャレンジするにも良いときだ。しかし、新たな命が固い地面を破って芽を出そうとしているときのように、いまは、なにごとも安々とは運ばないことをこころしておく必要があるようだ。それゆえ、なお慎重に先を急がず、現状を正確に把握することに主眼をおいて、志を同じくする友と力を結集してことを進めることだ。いいことがある。
 いま、地中に陽の気が生じ、再生(復活)のときが始まろうとしている。時節でいえば冬至。【一陽来復】というめでたい言葉はこの卦の形から生れた言葉だ。しかし陽の気はまだ生じたばかりなのだ。その消長はしっかりと定まったものではなく、果たして地上に出て雷鳴を響きわたらせるようになるかどうかはまだ判然としていない。クルマでいうならエンジンをかけたばかりなのだ。【一陽来復】という願ってもない再生/復活の好機をムダにしないためには、まず、ことの行く方を見極めることに主眼をおいて、決してムリをせず、エンジンが暖まるのを待つように、Deeper and deeper、徐々にペースをあげていく細やかな心遣いが不可欠である。急いてはことを仕損じる、のだ。

 自分に対してはきびしく、他者に対しては寛大で、かつ、近くの人への私情に溺れず、遠く疎遠な人の気持を思いやる公平さを忘れなければ、大河を渡るような危険を侵しても大丈夫、かならずいいことがある。
 大平のときはいつまでも続くわけではない。上がったものはかならず下がる。それが天理だ。苦しくとも正しくさえあれば、こころを悩ませることはない。


 こころある人はこの卦をみて、足を止め、手を休めて、こころ静かに、想うところを実現させるためのスケジュールをこころいくまで繰り返し検討したという。

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2006年12月 3日 (日)

今週(12月4日~10日)の運気

46shou

 地の下に木がある。これは地中に木の芽が生じ、天に向って伸びはじめたことをメッセージしており、さらにその芽の成長をさまたげるものがなにもないことを示唆している。しかし、芽が地中にあるということは、想うころがいますぐリアライズする、すなわち、いますぐ地上に姿を現わすというわけではないことをも同時に示唆している。
 つまり、想うところを妨げるものはなにもないけれども、それをリアライズさせるためには、地中の芽が大樹になることを微塵も疑わず、目に見えないところで必要な水や栄養分を吸い上げ、それらを糧として成長していくように、想うところに自信を持って、将来を見据え、日々、滞ることなく、焦ることなく、想うところに向けて前進していけば、いますぐではないが、想うところはかならずリアライズするというのである。ドント・ランニング、キープ・ウォーキング。ゼン・ドリーム・カム・トゥルー。

 はやる心を抑え、正しい道に則って、本来あるべき等身大の自分に帰ることになんの悪いことがあろうか。それでいいのだ。
 自分だけいい子になろうとしてはいけない。まごころを持って手を差し伸べれば、ともに助け合うことができる。分かち合う心意気こそが大切なのだ。
 ついに密雲は雨となって万物を潤し、月が満ちるように志は達成された。まごころを尽くし、我慢を重ねてきた結果だ。しかし、満ちた月はかならず欠ける。調子に乗って進めば危機に陥る。


 こころある人はこの卦をみて、自分の想いを表に出すときではないことを知り、さらに力を磨き、蓄えることに専心したという。


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