2007年がど〜いう年になるのか、じつは、旧年大晦日に卦を立てていた。もちろん、ひさびさ、年頭にアップするつもりで立てたのだけれど、フム。
なんたって、2007年という年が全体として、ど〜いう年になるのかという長いスパ〜ンの話なのだから、なにもわざわざ、おめでたい年の始めに冷や水、お知らせするようなことでもあるまいと遠慮させていただいたのだけれど、知らぬがホトケであるよりも、知って胸の覚悟をキメておいた方がよりベターに対応できそうな結果でもあったので、いま。下記の卦がそれ。

日本語的には〈しょう〉と読むこの卦は易経の64通りある卦のなかでも、もっともリアルで深い示唆に富んだ卦として知られている。まず、トータルなメッセージは以下のようなものだ。
人の世は真心さえあればすべてうまくいくというものではない。互いの想いが異なるとき、自分が正しいからといって強引に進もうとすれば事態はかえって悪化する。争うこと自体が問題なのだ。その点をよく注視して謙虚にことに当れば問題はない。賢い人の意見を聞くといい。大河を渡るような冒険をするのはムリだ。 ごらんのように、これほど、いまという時代の難しさを象徴的に言い当てたメッセージはないだろう。この卦を得たときは、あまりのリアルさにほとんど哀しいくらいだった。
いうまでもなく〈訟〉という字は〈訴訟〉とか〈争訟〉とか、卦的には〈裏では弱く表では強くいい争う〉ことを象徴する文字だけれど、とにかく互いに己の正しさを言い募って、〈あらそう〉とか〈うったえる〉とかあけすけに争うことを表わす言葉で、とても新年早々にふさわしい言葉ではない。しかし、グローバルにはイラク、北朝鮮、リベリア、ソマリアなどアフリカの混迷、内にあっては公の腐敗、人心の荒廃、自分を取り巻いている世界のなかで、選挙のときにしか手の届かない世界はまさに〈訟〉そのものだ。真心さえあればうまくいくというものではない、なんて、なんとサムい世の中だろう。しかも、今年1年、このようなサムい状態が収まることなく続くというのだ。なぜか。
〈訟〉は上卦(積み重ねられた陰陽6本の横棒、爻=コウと読む棒のうち上の3本)が〈天〉。下卦(下の3本)が〈水〉。つまり、天の下に水がある、という卦だ。自然の姿としてはごく当たり前の光景のように思えるけれど、易的には、そうではない。
なぜなら、上卦の〈天〉は上へと向う気であり、下卦の〈水〉は下へと向う気であるために、両者は背反して交わることがない。つまり、両者はそもそもコミュニケーションを取って交わろうとする気がないのだ。古人はそこに争いの原因とまごころがあっても道が塞がる道理を見たのだ。そして、そういう状況下にあっては自己の正しさや正義を主張しても意味がなく、むしろ、そうすればするほどかえって事態を悪化させることを悟った。
さらに上卦の〈天〉は、天・地・雷・風(木)・水・火・山・沢(湖)と8つあるエレメントのなかでも完全な陽の気を持つ〈剛健〉なエネルギーを象徴しているのだけれど、そのもっとも強い気=天が〈水〉という順応性はあるけれども不安定で、定まる場所を持たない坎(=カンと読む。落し穴のような凹みを象徴している)の上に乗っかっているのだから、ことの成りゆきによっては、いつバランスが崩れ(暴発)ても不思議ではないようなはなはだ危うい状況をも示唆しているのだ。
また、〈天〉は父親を象徴し、〈水〉は二男を象徴している。そして質実剛健な父親に対して二男は、どちらかといえば暗く、優柔不断な性格で、気が激しやすくて扱いにくく、水のように危険だが、どこかに底知れない深さを秘めている(ユング系の心理学者、秋山さと子氏の解釈による)性格を象徴しているのだが、そんな二男を権威を持つ父親が抑圧するように上から押さえ込んでいるのだ。つまり、押さえ付けられたものがいつキレてもおかしくない状態なのだ。
では、このような危ない状況にあって争いを激化させたり、プッツンとキレたりすることなくバランスを取り、共生を計るにはどうすればいいか?そういう意味ではこの卦はそれぞれに異なる環境に育ち、結果、異なる考え方を持ち、行き違い、争いが生じる必然を洞察して、なお、どうすれば争いをなくし、あるいは最小限にとどめてピ=スフルに共生していくにはどうしたらいいか、その答えを六つの爻の関係から読み取ろうとした、いわば人類最古の平和共存への答えを考察したその結晶といえるものでもあるのだ。古人はいう。
まず第一にできることはなんとしても争いを激化させることを避けること。後、互いの接点を探るために中(行き違いの原点)へと立ち戻るべきだ、という。
われわれの手が届かないところで世界を動かしている人びとにそれができるだろうか?とりわけ、この国のリーダーたちは、核を持ってしまった北朝鮮に対して、かれらを激化させることなく軟着陸させるために〈中〉を探る方策を持っているだろうか?あるいは、年内に収まることはないにしても、フセインを処刑したイラクを安定へと導く手立てを国際社会は持っているだろうか?いずれにしても、この一年は最低限、いまのように互いを誹りあう状態が続くのだと卦はいう。そしてヘタをすれば事態は暴走する、と。なんということだ!
それに今年は〈訟〉の典型といえる選挙、参議院選挙がある。この一票の選択が〈訟〉の行方に深くかかわっていることはいうまでもないだろう。
キーワードは折れよ
もちろん、これは遠い世界の話だけではない。手の届く世界、つまり、直接手が触れている世界、職場、道中、家庭の人間関係、そして内なるこころの世界も同様な状況にあるということを象徴している。
職場にあっては上昇しようとする剛健な上司が上にあって、想いを異にする部下たちを押さえ込んでいる。互いに進もうとする方向がちがうから争いが絶えず、ぎくしゃくしてことがうまく運ばない。他人との意見が合わず衝突したり、それが原因で絶交することになったり、また、仲間に裏切られる危険もある。
家庭内にあっては、外からはよく見えていても、家族一人ひとりの考えにズレが起きて不和が生じ、諍いが絶えず、へたをすると家庭崩壊や別れ話に進みかねない危険もあるという。
また、自身の内面も例外ではない。なにかにつけて迷いや葛藤が生じやすく、進むべき方向がなかなか定まらず、苦悩するということも起こり得る。
したがって、今年一年を無事に生き延びるには、重ねていうが、まずはなんとしても争うことを避けることだ。こちらが先に折れてすむことなら、なんでやねん!ぐらいの不条理はもちろん承知、許せるギリギリのところまでオノレを譲ってでも、折れることだという。下手に己の正しさを主張すれば、取り返しのつかない修羅を生み出すことになるからだ。それに、なによりも争いは人を小さくする。
内面に生じた迷いや葛藤は、遠回りにはなるけれど、そもそも迷いや葛藤が生じた大本のところ、原点まで立ち帰って白紙の状態に戻り、そこから今度は、迷いや葛藤を経験として改めて出直した方がいい。
こころある人はこの卦を見て、なにごとも最初が肝心であることを知り、ことを始めるにあたっては、後に争いが起きないように、よく熟慮して慎重に計画をたてることに努めたという。 かように、おのおの方、いわれなくてもそうであるにはちがいないけれど、今年はあまりパッとしないばかりか、ヘタをすると後に禍根を残すことになるかもしれないような危うい年であるらしい。
しかしながら、卦を立てるのは他でもない。そういう状況にあるとは知らず、猪突猛進して大ドンでン返し、坎穴に陥ることのないように(あり得るらしいのですよ、ヘタをカマすと)、あらかじめ困難は困難とクールに分別したうえで胸の覚悟。今年のばあい、〈オノレを譲れ〉がキーワード、最善を尽してなんとか無事に生き延びるために他ならない。
で、ど〜しても進む道が見えなかったり、退いてもことが収まらないようなときは、
賢い人のアドバイスを仰ぐべきだとまで卦はいっている。余程のことだ。そんなわけだから、今年は大河を渡るような冒険をするのはとてもムリ。ひたすら地味にラブ&ピース、自分を取り巻く世界をよく観察しながら、ガラスの上を歩くような用心深さを持って退くべきは退き(ヒツコイなぁ!)、ひたすらにバランスを取ることを道楽として行こうではありませんか。
なに、今年が最後というわけじゃありませんからね。それに思い起こせば04年。ブッシュ大統領が再選されてガクッ、これから四年間は最悪、ひたすら臥薪嘗胆と書いて今年はその最悪の最後の年。ハナっからすばらしい年になるなんて、恐らくだれも思っちゃいなかったでしょうしね。むしろ、最後となる今年こそはまさしく猖獗をきわめることになっても不思議はないわけで。
しかし正月そうそう、鬼も大笑いする来年こそは四年ぶり、いよいよアメリカの大統領選挙があるしね。といって、それでなんとかなる話でもないけれど、ま、バラック・オバマ氏が初のイケメン黒人大統領になるか、はたまたヒラリーさんが悲願、初代の女性大統領になるか、希望を乗せての野次馬的楽しみはある。
くわえて、です。易的にいえば一年全体としては〈訟〉にはちがいありませんが、そのなかのここのばあい、一週間ごとにその週の卦は、まさに64通りの吉凶がありますからね。だから、全体としてはなんとか凡々でよろしい。争わないことを信条に、韓信の股をもくぐる思い、ギリギリまで譲って譲って〜、折れて折れて〜、スイスイ、ス〜ダララッタ、スラスラスイスイスイ〜と青島さんが逝かれましたが、あのスピリット、最低限、気は楽に構えていこうではありませんか。
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