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2007年2月25日 (日)

今週(2月26日~3月4日)の運気

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 想うことの少しは通る。旅のとき、頼れるのは自分だけだ。他者をあてにせず、目的を忘れず、いまある自分をこころ正しく旅していけば、いいことがある。
 山の上に火がある。それは山火事が一ケ所に留まらず、転々と燃え移っていくように、いまが、見知らぬ土地を独り転々と旅するのに似た不安定な状態にあることを象徴している。旅先で孤独に負け、安易に人を頼れば裏切られもしようし、他方、旅の恥は掻き捨て、の誘惑もある。そうした自分を律するに困難な状況をあやまたず生き抜くのはなかなか難しい。
 そこでこの卦は、上卦が〈明知〉を象徴する火、下卦が〈不動〉を象徴する山であることから、〈明知に留まること〉、すなわち、艱難(かんなん)にあっては知を総動員して、あくまでもこころ正しく旅せよ、とアドバイスする。
 そうすればいいことがあるというのは、それができてはじめて、一人前の人としてこの世を生き抜く力が備わったといえるからだ。人生は旅である。そういう意味でこの卦は、いまは一人前の人として生きる力と自信をつけるための修行のときだゾ、しっかりしろと、励ましだともいえる。

 旅のとき、不安と苦しさのあまり余裕をなくし、些細なことにケチくさくこせこせと振舞う。そんな気持だと余計に消耗して自ら不運や災いを招くことになる。よくない。
 昇ることだけを考えていると足元を掬われる。


 こころある人はこの卦を見て、ことの善悪を素早く見極め、今日できることは今日のうちに済ませ、明日に宿題を残さないように努めたという。

 易の先達はこの卦〈旅〉に転職や失業、組織内での孤立、事業の失敗あるいは転居などによる不安定な生活、私的には友人を失ったり、家庭内不和や失恋、スランプに見舞われるといった、いずれにしても孤立無援、辛くきびしい局面を読み取り、その難関をムリに打開しようとすればかならず深みにハマる、と。それゆえ、決して焦らず、降りかかる問題を受け身で受け留め、慎ましく一つ一つ順を追って処理していくこと。間違っても自棄になって夢やプライドを見失ったりすることのないように、こころをまっすぐに辛抱を強くして切り抜けろとアドバイスしている。傾聴すべきだろう。
 自ら招かなければ、およそ終わらない艱難というものはないし、艱難は汝を玉にするともいう。乗り切ってもう一段、美しい玉へとバージョンアップをはかろうじゃないか。レッツ・ロ〜ル!だ。


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2007年2月18日 (日)

今週(2月19日~25日)の運気

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 想うことは通る。雷鳴が轟くとき、人は驚いて、恐れおののいた後、安堵して呵々と笑う。常日頃から、思い上がることなく、恐れ慎む気持を忘れないことが大切である。
 雷の上に雷があるのは震、思いがけない驚きを象徴している。
 雷は突如として起こり、人心を震え上がらせる。震はそのような大きな驚きの割には実害が少ない出来事を象徴している。そんな出来事に遭遇したとき、人は一瞬、魂を引きちぎられ、動転して理性を失い、子どものような素心に戻ってしまう。しかし、その体験は決して悪いことではない。むしろ、そのようにナニかが起きたときだけ素心に戻るのではなく、常日頃から素心を忘れず、常に、予期せぬ出来事はなんの前触れもなく唐突に起こり得るのだということをこころに置いて、身の回りに起こる出来事を〈天の為せる業〉として畏怖し、身を修め、慎む気持を持ち続けることこそが、じつは人生に福を招き、幸せをもたらす源なのだということをメッセージしているのだ。
 また、震は震えるだけの、仰々しいわりには内実を伴わない空騒ぎが身辺に起きることをも示唆している。振り回されず、素心を忘れず対応すれば問題はない。

 こころある人はこの卦をみて、恐れ慎み、自分に過ちがないかをよく省みて、行うことに過ちがないように、心身の修養に努めたという。

 さらに震は震えること、揺れ動いて安定しない状態、不安定がもたらす驚きを象徴している。易の大家、本田済博士によると、かの孔子でさえ「迅雷や疾風のときはかならず居住まいを正した」という。そして、それが震に対するベーシックな対処の仕方だ。
 しかし、揺れ動く状態というのはかならずしも悪いだけではない。新たな創造や発見は安定の中からではなく、むしろ不安定の中から、その原因をよく見つめ、理由を突き止める過程の中で生み出されたりするのだ。それゆえ、不安定であること、こころの不安をいたずらに恐れてはならない。恐れず素心に返って冷静に直視するところから新たな安定への道が驚きを伴って開けるのだ。大いなるかな、震。
 また、震は音的に〈娠〉に通じるせいか、この卦には妊娠のイメージがつきまとっている。新たな命の誕生もたしかに激しい震!?に発し、驚きを伴うからね。子どもが欲しい方には今週はチャンスかも?逆は要注意。


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2007年2月11日 (日)

今週(2月12日~18日)の運気

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 想いが遂げられるときだ。もはやそれを止めることはだれにもできない。志を同じくする友とその日が来たことを言祝ぎ、歌い、リーダーとそれぞれの役割を決めて、一丸となって前進するといい。しかし、その志が単なる思いつきでないことを証明する理由を欠いてはならない。

 地の上に雷がある。それは天地の運行に従って冬が去り、地中から上昇してきた陽の気が陰の気と和合して火花を散らし、それが春雷となって地上に響きわたるのを合図に、新たな命が芽生え、再生する時節が巡ってきたことをメッセージするものだ。志や想いを遂げるチャンスがやってきたというのは、そういうことだ。
 ただし、それが一部の狂いもなく順序に従って巡行する天理の必然に従ってやってきたものだということは、それを止めることはだれにもできないのと同時に、遂げられようとしている想いや志もまた、ここに到るそれなりの、少なくとも関係する人びとを説得して十分共感してもらえるだけの理の必然を持っていなければならないということをも意味している。つまり、それは想い、志すところが単なる思いつきや気紛れの類いであったばあいは、逆に見るも無惨な失敗に終わるということでもあるのだ。よくよく熟考して後、ロックンロールだ。

 楽しみ溺れていると、周りに見捨てられ、急に死ぬようなことはないにしても、うらぶれて苦しむことになる。バランスを考えて身を慎んだ方がいい。
 認めない人がいても、想うところはあくまで変えず、長く自分を磨き続けていけば、悔いはなくなる。


 こころある人はこの卦を見て、新たなチャレンジに向けてテーマソングを定め、それを奏でて祖先や神仏の霊を慰め、自らも楽しんで魂を鼓舞激励したという。

 豫は歓びという意味で、志を遂げて悦にいっている状態を表わす言葉だ。そしていう。成功の座から滑り落ちる原因は慢心と怠情と耽溺である。そのいずれも「もうちょっとだけ」という悦楽への未練であり、その未練は成功を手に入れるためにした苦労の度合いに比例する。石のように固い決意でもって「もう、ちょっとだけ」を振り切れ、と。


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2007年2月 4日 (日)

今週(2月5日~11日)の運気

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 運気が上昇している。いま、自分をここにあらしめているものすべてのものに感謝の気持を新たにすれば、支えあう友を得て、想うことがおおいに通る。

 火の下に木がある。それはいま、火が木という適材を得て、明々と燃え上がり、その火勢を得て鼎(ナベ)のなかでは、生(未完成)だった食材(想い)が水を得てぐつぐつと煮え、神に供し、人びとを養うことができる料理へと化成しつつあることを象徴している。つまり、時勢は変革の混乱を終え、アンダーグラウンドではすでに明るい明日の骨格が作られつつある状況にあることを示唆しているのだ
 また、そうした状況にあって忘れてはならない重要な心構えを、この卦では〈鼎=かなえ〉と呼ばれる三本の足を持つナベに喩え、物事は、おなじ長さ(力)を持ち、それぞれに役割を異にする三本の足(三者)が支えあってこそはじめて成立し、安定を得ることができるのだということをもメッセージしているのだ。
 同時に、木と火と水という協調しあえない三つの要素が支えあって物事を作り上げていくには、ともに認め合うナベという器(法/ルール)が必要不可欠であることをも暗示している。すなわち、いま、戒めるべきは調子に乗って独善に陥らないこと。想うところは違っても目指すところはおなじ仲間を大切にすること。そのようであればすべて順調にうまくいく。

 ナベの中身(想い・才能)がよく、小心な友は嫉妬し、悪に誘う。誘惑に乗らず、自分の身を慎んで迷わず道を守れば、咎もなく、終いにはうまくいく。
 ナベに玉の耳輪がついている。信念に固く、対処に柔軟であれば、思いがけない幸運に恵まれ、想うことはすべて叶う。


 こころある人はこの卦を見て、物事は筋道を経て完成するものだということを悟り、与えられた立場を守り、自らの役割を果たすことに専心するように努めたという。

 なお、易占いの先達たちによると、この卦は盛運には違いないけれど、三本の足は男女の三角関係について警告するものだもという。心当たりのある人は要・注意。

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