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2007年4月29日 (日)

今週(4月30日~5月6日)の運気

58da

 想うことは通る。こころ正しく道を歩めば、人にも喜ばれ、得るものがある。

 湖の上に湖がある。
 湖や沢など、凹んだ形をしている〈兌=だ〉は少女や悦びを象徴している。そのことから上下二重に重なる兌はこころの清らかな二人の少女がともに喜び笑い合う姿を表わしていると解釈されている。そしてそれはいまという時が友とこころを通わせ、互いに楽しさや悦びを共有できるように、より緊密なコミニュケーションをはかる必要があるときであることを示唆するものだ。
 健全なヤル気や生きる意欲というものは、そのベースに喜びや楽しい気分があってこそフツフツと沸いてくるものだ。つまり、いい人生というのは基本的にそれが楽しいものであるところから開けるのだ。この卦はそういう人生にするために、こころを開いて忌憚なく議論をしたりできる友を得て、互いに高め合い、喜びや楽しみを分かち合って生きていくことの必要性があることをメッセージしているといえる。あなた、いま、孤独にハマっていないですか?
 折も折り、偶然とはいえ、今週は〈兌〉=歓びのゴールデン・ウィーク。古き友と会い、おおいに楽しんで新しい友を得ようではありませんか。ユー・ガッタ・フレンド!

 喜び(物心の損得)を秤にかけて迷う。そのようではこころの安らぎは得られない。病であれ性癖であれ、悪いところは速やかに減らし、毅然として邪心を退け、正しい選択をすれば、真の喜びと出会えるだろう。
 だまされない自信があるからといって、邪心を持ってへつらい、擦り寄ってくる人びとを近づけるのは危うい。自分を過信するものは危機に陥る。


 こころある人はこれを見て、コミニュケーションの大切さを悟り、連なる湖が互いを潤しあうように、友人たちと想うところについてこころ開いて議論することで、足りないところを補い合い、互いの向上をはかることに努めたという。

 〈兌〉は基本的に喜びを分かち合うこと、人生を共に歩む友を持つことの大切さをメッセージするものだ。他方、易占いの達者たちは、この卦を口に発する災いが多いときであることを警告する卦だとも捉えている。つまり、口車や口先の誘惑に乗せられたり、また軽口や悪口、あるいは親しいからといってついつい口汚く罵りあって不和を招いたりする危険もあるときだから、親しき仲にも礼儀あり、自らの言動にはよくよく注意を要するときだというのである。
 また口が中心の卦であることから、友情を暖めるような小さなことにはいいけれども、大口を叩くという形容があるように、大仕事にトライするには相応しい時機ではなく、現状維持を心掛けた方が無難であるとも解釈している。傾聴に値する指摘だ。


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2007年4月22日 (日)

今週(4月23日~29日)の運気

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 未熟であることを教えてくれる人はいない。未熟であることを自覚し、教えを乞うてはじめて学ぶことができるのだ。しかし、一度教わりながら、再三教えを乞うようないい加減な態度では師を失う。真剣に学んでこそ未熟さを克服できるのだ。そうして正しく学ぶ気持を持てば、いいことがある。

 山の下に水がある。
 これは山に降った雨を集めて湧き出ている清らかな泉を象徴している。泉は最初は小さい流れに過ぎない。しかし、流れていくうちに水を集め、やがて岩を穿ち、滔々と流れる大河になる。が、生まれたばかりの泉はまだそのことを知らない。それを若さ故の未熟さ、若気の愚かさともいう。
 しかし、そのこと自体は当然のことであって決して悪いことではない。問題はその先である。こころある人は泉の清らな水が流れていくうちに自分を大きく深くしていく難儀を想いやり、若さゆえの未熟さを克服するために、岩をも穿つ勇断を持って学び、自らを磨くことがいま為すべきことだというのである。

 達者はいう。自分の無知に気づいたとき、それが知恵の第一歩となる。未熟なこころは、常に責任を他人に押しつける。しかし、他人とは自分の鏡に過ぎない。他人が自分に苦しみをもたらすという想いを止め、自分こそが苦しみの創造者なのだと気づくとき、それが成長への第一歩となるのだ、と。


 こころある人はこれを見て、わが身の未熟さを悟り、志を遂げるために必要なことを学ぶことに専心したという。

 爻辞(こうじ)の三番目(六三)に次のような一文がある。すなわち、「金夫(金のある男)を見て、躬を有たず(身をまかせる)ような謹みのない女を娶って利するところなし」と。然りである。しかし、金で節操を曲げるのは女ばかりではない。男も同様である。そしてそれは目先しか見ることができないこころの未熟さがもたらす災いの一つだというのである。如何?勇を奮って自分の未熟さを見つめ、克服しようではないか。そうする先に真の幸せが見えてくる。


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2007年4月15日 (日)

今週(4月16日~22日)の運気

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 志が遂げられるときだ。これは自然の摂理に従ったもので、だれもそれを止めることはできない。想いを同じくする友とその日がきたことを言祝ぎ、それぞれの役割を決めて、一丸となって前進するといい。ただし、その志が単なる思いつきではないということを証明する理由を欠いてはならない。

 地の上に雷がある。
 これは天地の運行に従って冬が去り、地中から上昇してきた陽の気が陰の気と和合して火花を散らし、それが春雷となって地上に響きわたるのを合図に、新たな命が芽生え再生する時節がやってきたことを告げるものだ。志を遂げるときがやってきたというのはそういうことだ。
 ただそれが一分の狂いもなく順序に従って巡行する天理の必然に従ってやってきたということは、遂げられようとしている志もまたそこに至るそれなりの、少なくとも関係する人びとを説得して十分共感してもらえるだけの理の必然を持たなければならないということを意味している。志すところが単なる思いつきや気紛れの類いであったばあいは、逆に見るも無惨な失敗に終わるということでもあるのだ。よくよく熟慮熟考して後、ロックンロールだ。

 志を遂行するにあたっては自他を疑わず、ひたすらに誠心誠意を尽せば、やがては想いを同じくする友人たちがいっせいに駆けつけてきて助けてくれるだろう。それを疑うことなく進めば、大いなる成果が得られるだろう。


 こころある人はこれを見て、新たなるチャレンジに備えてテーマソングを定め、それを奏でて祖先や神仏の霊を慰め、自らも楽しんで魂を鼓舞したという。

 〈豫〉は悦び、志を遂げて悦にいっている状態を表わす言葉だ。志を遂げたとき、手にするものは成功の甘き香り、つまり、歓びの極み、悦楽である。その上で卦はいう。
 成功の座から滑り落ちる原因は慢心と怠情と耽溺である。そのいずれも「もうちょっとだけ…」という悦楽への未練によってもたらされる。その未練は成功を手に入れるためにした苦労の度合いに比例して強い。石のような固い決意でもって「もうちょっとだけ」を振り切れ。志を遂げるにも維持するにも、倦まずロックンロールあるのみだ。ドント・フォーゲット!


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2007年4月 8日 (日)

今週(4月9日~15日)の運気

09shochiku

 小さな想いなら叶う。西の空に黒雲が湧き出ているが、まだ雨を降らせるまでには至っていない。想いの大きさに較べて天の気はまだ幼く小さい。しかし、その気はかならず成長する。吹く風を信じて、いまは焦らず、自分を磨いて力を蓄えるときだ。

 天上を風が渡る。
 その風はやがて雲を集め、雨をもたらす。天上を吹き抜ける西風は、ほどなく大いに為すときがやってくることのなによりの証拠である。その確信は疑うべくもないほど確かだ。
 しかし、同時に、風は雨の降る日がまだ遠いことをもメッセージしているのだ。しかも風は気の流れである。つまりその想いが実質を伴うまでにはまだ至っていないことも告げているのだ。つまり、希望はある。想うところも正しい。しかし、まだその日ではないのだ。小さな想いなら叶うというのはそういうことだ。
 そして人はそんなときがいちばん苦しい。それを卦辞では〈密雲不雨=厚く雲が垂れ込めているのに雨が降らない〉に似た、陰うつで苛立たしい気分と表現している。焦っては事を仕損じるのだ。空しく天上を吹く風に悪態でもつきながら、気を長くして待とうではないか。

 関わり合うべきではない人にかかずらわって暴走すれば、車軸が抜けて動けなくなったクルマのような目にあうばかりか、その人とも夫婦喧嘩のような争いになって、消耗するだけだ。


 こころある人はこれを見て、自分の想いを表に出すときではないことを知り、さらに力を磨き、蓄えることに専心したという。

 この卦を〈小畜〉、少しく蓄えるとしたのは、六つの爻のなかでただ一つの陰爻(下から四番目の爻)が正しい位置(偶数の位置)にあって、五つの陽のはやる気持を抑え、ことを成功へと導くキーマンとして働いているからだという。
 易の陰陽は儒教の影響を受けて、〈陰〉は従属するもの(女性、妻、部下、月)、〈陽〉は主導するもの(男性、夫、君子、太陽)を象徴するものと解釈されていて、この卦は、故事に「柔よく剛を制す」というがあるように、女性(妻、部下)がはやり立つ男(夫、上司)を制御してバランスを取ろうとする姿に比類されていた。
 いずれにしても今週は、自らの正しい志が、じつは陰のエネルギー(攻撃より守備、激しさより優しさ)によって支えられていることを自覚し、陰の役割を果たしているパートナーのいうことによく耳を傾けることだ。


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2007年4月 1日 (日)

今週(4月2日~8日)の運気

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 知っている道を往くのは問題ない。知らない道を往こうとすれば、たちまち窮地にハマる。尊敬できる人に会ってアドバイスを乞い、それを参考にしながら、変わることなくこころの正しさを守り通せば、週末にはいいことがある。

 山の上に水がある。
 これは前方に逆巻く水の流れがあり、後方には険峻な山が退路を断っており、動けばたちまち危機に陥るという、まさに進退の極まった状況を象徴している。こういうときはナニをやってもうまくいかない。おまけに先も見えず、八方塞がりで気ばかりが焦る。しかしこういうときこそ、焦りは禁物。動いてはならない。
 難しい(水=坎、陥る)と知って、自ら踏み止まる(山=止る)ことができる者こそ真の知者なのだ。
 また、そうして極まった窮地を救ってくれるのは、唯一、正しい道を知る賢者のアドバイスであり、求めて会ってアドバイスを乞い、謙虚に従えば、難局を切り抜けられるだろうと、この卦は教えている。

 自分のためではなく、正しいことを通すために、艱難を引き受け、身を挺して進む。結果がどうあろうと、咎められることはない。
 ひとりで進もうとすればかならず行き詰まる。求めて賢者に出会い、そのアドバイスに従って進めば、想いは遂げられ、いいことがある。


 こころある人はこれを見て、前途が険しいことを知り、一歩退いて自分を振り返り、至らないところを探して、それを補い満たすことに努めたという。

 〈蹇=けん〉は足が萎えて動くことができない状態を表わす文字で、64ある卦のなかで三大難卦の一つとされるほどきびしい事態を示唆する卦だ。それゆえ、おのおの方。息ができているだけでも幸せじゃないか、というぐらいの余裕を持って、アドバイスを参考に慎重に切り抜けて欲しい。
 人は窮地に陥ったとき、かって自分がしてきたことの結果としての自分のトータルな実像と出会う。自分を取り巻く世界や人に対して自分がナニをしてきたか?だれがほんとうの友だちなのか、ナニが足りてナニが足りなかったか。これからナニを引きナニを足して生きていけばいいのかをあからさまに教えてくれるのだ。そういう意味では蹇のときは苦しくとも決してムダではないのだ。省みて、リニューアルを。


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