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2007年5月27日 (日)

今週(5月28日~6月3日)の運気

15ken

 謙虚であれば、願いは叶う。すぐれた資質や才能も謙虚であってこそ、はじめて光り輝くのだ。自分をアピールするということをしないために、はじめは難渋することもあるが、半ばを過ぎれば運が開けて有終の美を飾ることができる。
 地の下に山がある。
 本来、山というものは地の上にどっしりとそびえ立って人を遮り、水を止めて動かないことから、誇り高い不動の志を象徴するものだ。それが地の下に留まってあるのは、優れた資質や才能、あるいはスピリットの持ち主であればこそ、なお、地に埋もれてあることをいとわず、騒がず、泰然と謙虚に留まって動じないものだということをメッセージしている。
 しかし、時が経てば、山は削られ河を埋めて大地が平らになるように、埋もれているタレントや精神もまた、時に洗われて自ずと地の上に姿を現わして、人びとの知るところとなるのだ。
 鬼神は奢り高ぶるものに禍いを、謙虚なものに福を与えるという。人もまたきょう慢なさまを憎み、慎んで奢らぬさまを好む。真に世が求めるタレントやスピリットとはそういうものなのだ。研鑽して謙虚であれ。陽の当たる日はかならず向こうからやってくる。

 苦労を口にせず、誇るべき功績があるのに謙遜して高ぶらない態度に人びとは感動して好意を抱く。そのようにして最後にはその想うところが認められて、リアライズするのだ。


 こころある人はこれを見て、人に対しては差別なくおなじ態度で接し、自らは慎ましく、スピリットやタレントを内にとどめて謙虚に徹するよう努めたという。

 優れたタレントや精神を持ちながら謙虚であり続けるのは難しい。しかし、志を世に問う機を見るのはもっと難しい。なぜなら機を外せばどんなに優れたタレントも報われずに終わるからだ。この卦は、志を死守して謙虚であることに難しさと、機を見ることの大切さについて、いま、改めて再認識して、いつ、その機が満ちてもいいように焦らず自分を磨きながら、とにかくいまは謙虚であれというのだ(ダレかに見られているのかも?)。
 ちなみに、この卦はごらんのように、唯一の陽爻(下から3番目の陽爻=男)が人体でいうと〈股〉に当たる部分にあり、それを五つの陰爻(女)が群がって取り巻いているように見えることから〈男子裸身の卦〉ともいわれ、古来、達者はこの時機、男女を問わず異性問題には気をつけるようアドバイスしたという。おのおの方、ダイジョ〜ブ、ですよねえ。


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2007年5月20日 (日)

今週(5月21日~27日)の運気

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 外に向って大きな事業を展開するときではない。内を向いてプライベートな問題を片づけるにはいいときだ。信頼できる人のアドバイスに耳を傾けるといい。
 湖の上に火がある。
 火は上に向う気であり、湖は下に向う気であることから、これはシンクロすべき二つのエレメントがそれぞれに進む方向を異にしており、結果として互いに背きあっている状況を象徴している。大事を行なうにはよくないときであるというのはそのためである。
 しかし、同時に〈火=離〉は明るい知性を持って他に着くという性格、〈湖=兌〉は受けて(着かれて)悦ぶという性格を象徴しており、しかも、下卦の湖の中央の爻(下から2番目の横棒)は陽、上卦の中央の爻(下から5番目の横棒)は陰と、陰陽互いに引き合う性格を共有していることから、表面では背き合うように見えていて、じつは内面に一致するものがあることを示唆している。たとえば天と地、男と女のように陰陽、正反対の極にありながら、互いに求める気持を共有しているように、だ。
 しかも、そうして相反するものが内面に共有しているものの働きによってはじめて万物が生じるのだ。
 この事実は、物事というものは、表面に現れた事象だけに捉われていると深層にある重要な事実を見落とすことになる。物事というのは表面だけを見るのではなく、相反するものの中にさえ、通じ合うものがあることを見ようとする深い洞察があってはじめて物事の真実に触れることができるのであり、それは志を実現するために欠いてはならない重要な作業であることを示唆しているのだ。今週は表面の事象に捉われず、洞察を深くし、相反するものの内側にあって共有しているものに注目して行動するように心掛けることだ。そうすれば間違うことはない。

 性格を異にする女性二人が同じ屋根の下で同居すれば互いにいがみ合い喧嘩をすることになる。自他の違いを認めて相手を許し、共にわが道を往くようにすればトラブルは解消する。


 こころある人はこの卦を見て、相反するものの中にさえ共通するものがあることを知り、想うところは同じであっても、行いにおいては他に同ぜず、自分のスタイルを通すように努めたという。

 漢字辞典には無いこの文字は〈けい〉と読み、家庭内や仕事場で人間関係がぎくしゃくし「内輪もめがある状態」、あるいは自身の内面に激しい葛藤があることを意味する言葉だ。人は背きあって孤独に陥ったとき、猜疑心に飲み込まれてほとんど妄想を見るほどに惑わされる。しかし、そういうときほどじつは冷静さが要求されるのであり、クールになって相手の心情を思いやってみれば、凝り固まった憎しみのからの中に自分のそれとまったく同じ思いがみえてくるはずだ、とこの卦はいう。だとすれば、あとは度量。弓を収め、こころを開いて手を差し伸べるだけの勇気があるかどうかだ。あればハッピー。いずれ、背きあっていてはナニもはじまらない。冷静になってまず足元を固めよ。知恵者に相談し、自分のやり方で、ね。


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2007年5月13日 (日)

今週(5月14日~20日)の気運

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 この週、五月晴れの沖天に太陽があって命を育むすべてのものに燦々とエネルギーを降り注いでいる。想うことがなんであれ、おおいに叶う。ピンライトのなかに浮かび上がった主役のように臆せず、積極的に行動するときだ。しかし、それは天が味方をしてくれているからだということを忘れてはならない。

 天の上に火がある。
 いま、燃え盛る太陽が沖天に昇り、万物に光と熱を与え、その慈愛に満ちた広大無辺な包容力でもってすべてを包み込んでいる。地にあってその恩恵を受けないものはなにひとつない。もちろん、万物の一員である自分も例外ではなく、その行なうところを全面的に受け入れ、そしてバックアップしてくれる。
 想うところを照らし見て、それが私利私欲を満たそうとするものではなく、〈天〉=剛健な精神と〈火〉=輝く知性を両輪として世のため人のためを想うものであれば、単に想うところが叶うというだけではなく、望外な成果を得ることができるだろう。

 大きなクルマに重い荷物を積んだように期待は大きく、責任は重い。そのことを自覚して、その重荷に耐えられるかどうかをいつも確認しながら進めば、問題は起きない。


 こころある人はこの卦を見て、まずは日常の行いの隅々にまで光を当てて検証し、悪しきところは直ちに止め、善きところは延ばすようにして、思い行なうところに一点のかげりもないように努めたという。

 この卦を得たとき、古人は飛び上がって喜び、天を仰いで感謝の意を捧げたという。〈大有〉とはその有するところが大きいという意味。なぜ、大きいか?天のサポートがあって自らの実力以上のものが得られるからだ。
 今週は〈天が付いている事実〉を体感できるシンクロニシティ(アリ得ナ〜イ偶然)と遭遇するチャンスが多いはず。逃さず、そのリアリティを実感・体得して、いつでも呼び起こせるようにトレーニングを。ソ、3月にもあったけれど、重ねるように、天なるフォースを味方につける術を学習するチャンスがやってこようとは!確率的にこんな幸運は天文学的かも。のびのびヤリマショ。


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2007年5月 6日 (日)

今週(5月7日~13日)の運気

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 いま、自分と自分を取巻く状況を甘えず、他者を見るようにクールに見据えるとき。間違っても軽々しく行動しないことだ。人びともまたそうした真摯な姿を観て、信頼し、あるいは慕ってくれるのだ。

 地の上を風が渡る。
 これはあらゆる障害物をものともせず地を渡る風のように、いまが、地の隅々にまで天の法則が行き渡り、法則に合わない企みや小細工がほころびとなって一掃されるときであることをメッセージするものだ。いまが軽々しく行動を起こすときではないというのはそういうことだ。
 まず歩みを止め、こころを虚=空にして我を離れ、いまあるオノが有り様をよく観ること。オノが行いや想い、あるいは願うところ、そして、それらを取り巻いている現状などを、あたかも主人公Aのケースを観るがごとき冷静さをもって仔細に検分し、天の法則(とりあえずナチュラル)に照らして観る必要があるときなのだ。
 なぜなら、天の行なうところは人知では予測しがたいほど自由でありながら、深いところではいささかの狂いもない。ところが、と、卦はいうのである。じつは、人の行なうところもまたそうだからである、と(〜ム、深い)。だからこそ、真摯に己を省み、物事を深く洞察することはきわめて大切であり、また、そのようであってはじめて、自分を取り巻く人びとの信を得、その協力を得て、その行なうところもなし得るのである、と。大いなるかな、観。

 子どもはごく身近なものは見ることができるが、遠くを見ることはできない。そのような見方は子どもなら可愛げもあって許されるが、オトナがそのようであっては恥ずかしい思いをすることになるだろう。


 こころある人はこれを見て、くまなく四方を観て歩き、つぶさに人びとの暮らしや求めるところを観察して、なすべきことを決めたという。

 人や物事を違わず観(見)る目を持つということは大切なことだ。なぜなら、それができれば大きな間違いを犯したり、人生を誤るということはまずないからだ。今週は、行動する前に、周りの状況や自分がしようとしていること、想っていることをよくよくトレースしてみる必要があるというのは、いまが、そうするのにふさわしいときだということだ。この卦では、そうするときの心構えについて、まず、手を洗い、後、祭壇にすすみ出て供物を捧げ、神霊を仰ぎ見て願いごとをするときのような気持でせよとアドバイスしている。人生では飛ぶ前に見ることが大事なときもあるのだ。いまがそのときだ。


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